桜の写真は、明るくなければいけないのか?
写真をどう考えるか(*^_^*)
先日の写真展で、ギャラリートークを終えたあと、ある方から声をかけられました。
その方は写真をされているそうで、
「写真をやっていない人から、桜の写真が全体的に暗いと言われたんです」
という話をされました。
ただ、私は最初、何を聞かれているのかよく分かりませんでした。
そこで、
「仰っている意味がよく分からないのですが、どういうことを仰っていますか?」
と聞き返しました。
すると、その方はそのまま話を終えて離れていかれました。
少し驚きましたが、その出来事が妙に頭に残りました。
なぜなら、写真表現を考えるうえで、とても大切なことが含まれているように思ったからです。
桜だから明るく撮る。
紅葉だから鮮やかにする。
雪だから白く見せる。
もし、被写体ごとに「こう撮るべき」という正解が決まっているのだとしたら、写真表現はずいぶん窮屈なものになります。
同じ桜でも、何を表現したいかによって、相応しい明るさは変わります。
春の華やかさや生命感を見せたいのか。
雨の中の静けさを見せたいのか。
散り際の寂しさなのか。
妖艶さなのか。
違和感なのか。
それによって、明るく見せることもあれば、あえて暗く見せることもある。
だから私は、
「桜の写真が暗い」こと自体には、良いも悪いもないと思っています。
大切なのは、
その明暗が、自分の表現したいものに相応しいかどうか。
もちろん、誰かから「暗いですね」と言われたこと自体は無視してはいけないと思います。
見る側がそう感じた、という事実だからです。
ただし、
「暗いと言われたから、明るく直す」
では、写真表現にはなりません。
まず考えるべきなのは、
自分は、その桜で何を表現したかったのかですよね。
写真を続けていると、つい「正しい撮り方」や「正しい見せ方」を探したくなります。
でも、作品づくりで本当に大切なのは、
どう撮るかより、何を伝えたいのか。
他人から、
「暗い」
「明るい」
「もっと鮮やかな方がいい」
と言われたときこそ、すぐに直すのではなく、一度立ち止まって考えてみるべきですね。
「私は、この写真で何を表現しているのか?」
その答えが自分の中にあれば、他人の言葉に振り回されることはありませんよね。
写真は、被写体をきれいに見せるためだけのものではありません。
自分が何を感じてどうみせたいのか、
明るさも、色も、構図も、すべてはそのための手段にすぎない。
だから私は、技術より先に「何を伝えたいのか」を考えることが大切だと思っています。
写真表現とは、正解を探すことではなく、自分の答えをつくり、どう表現するのか。
だと思うのです。作品を見る人がどう思うかそれらを想像できる人がうまく表現できているのだと思います。
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