同じ写真なのに、なぜ評価が分かれるのか(*^_^*)
写真の永遠のテーマかも(^^♪
昨夜の井上拓真VS那須川天心のボクシングは、見応えがありましたね。どちらが勝つのか、最後まで分かりませんでした。
結果は井上拓真選手が3-0の判定勝ち。私も納得できる結果でした。
試合後の記事を読んで、特に印象に残ったのが、主導権についての両陣営の見方です。
記事によれば、那須川陣営は、相手が下がっていたことから、自分たちが主導権を握っていたと捉えていました。一方、井上拓真選手は、終始、自分の距離で戦えたと振り返っていました。
相手を下がらせ、自分のペースで戦っていたのか。
それとも、相手との距離を保ち、自分のペースで戦っていたのか。
同じ場面を見ているのに、受け止め方は正反対です。
私自身は判定に納得しましたが、両陣営の言葉を読むと、何をもって主導権と捉えるかの違いを感じます。
そして、写真でも似たことがあるなと思いました。
同じ部分が、長所にも短所にもなる
例えば、画面の中に大きな余白がある写真。
ある人は「この余白が静けさを感じさせる」と評価し、別の人は「余白が多く、主題が弱くなっている」と感じる。
暗く仕上げた写真も、「深みがある」と見る人もいれば、「見せたいものが見えない」と受け取る人もいます。
同じ写真の、同じ部分が、長所にも短所にも見えるのです。
もちろん、ボクシングの採点と写真の審査は仕組みが違います。ただ、同じものを見ても、そこにどのような意味を読み取るかによって評価が分かれる。その難しさには、共通するものを感じました。
私自身、コンテストに応募する立場も、作品を審査する立場も経験してきました。
「この作品が落選するのか」
「こちらの作品が評価されるのか」
そんな思いをしたこともあります。
しかし、その違いをすべて「審査員の好み」で終わらせてしまうと、そこで考えることが止まってしまいます。
その人は、写真のどこを見ていたのか。何を魅力と感じ、何を物足りないと感じたのか。
そこを考えることに、学びがあると思うのです。
自分に見えているものは、人にも見えているか
撮影した本人は、写真に写っていないことまで知っています。
何時間も待ったこと。何度も通ったこと。その土地に特別な思いがあること。
私にも、そういう写真はたくさんあります。
でも、見る人はその場にいません。作者の想いや苦労も、説明がなければ分かりません。まず問われるのは、目の前の写真から何が伝わるかです。
自分が現場で感動したことと、その感動が写真から伝わることは、必ずしも同じではありません。
「静けさを表現したかった」という意図があっても、見る人には「何を見ればよいのか分からない」と映るかもしれない。
思いを込めたことと、思いが伝わる表現になったこと。その二つを、分けて確かめる必要があると思います。
EMAフォトスクールの特別コースでは、単写真・組写真の両方で、まさにこの「自分と第三者の視点や解釈の違い」を学んでいます。
単写真では、一枚から何が伝わるのか。
組写真では、複数の写真の関係や並びから、どのような意味や流れがにじみ出ているのか。
作者の中ではつながっている写真も、ほかの人にはそのつながりが見えないことがあります。反対に、作者が意識していなかった関係を、見る人が感じ取ることもあります。
ディスカッションでは、こうした違いを言葉にして確かめていきます。
自分では伝わっているつもりだったことが、必ずしもそうではない。自分が注目していたところとは違う部分に、ほかの人は心を動かされている。
その気づきが今、受講者の皆さんに深く刺さっていると感じています。
私が「第三者の目で見ましょう」と伝えるだけでは得られない実感が、仲間の言葉を聞くことで生まれているのだと思います。
ただし、意図と違う受け取られ方をしたからといって、すべてが失敗ではありません。そこに新たな魅力が見つかることもあります。
大切なのは、「なぜ、そのように見えたのか」を考え、自分の作品を見直すことです。
評価を聞いて、何を変え、何を残すのか
コンテストでは、募集テーマや審査方針、ほかの応募作品との比較も結果に関わります。
一度の落選で、その作品の価値がすべて否定されるわけではありません。逆に、入賞したからといって、見直す余地がなくなるわけでもありません。
講評がなければ、落選した本当の理由は分かりません。それでも、自分の見せたいものが伝わっているかを、あらためて確かめることはできます。
一方で、人の意見をすべて取り入れればよいわけではありません。
「余白が多い」と言われたから切り詰める。「暗い」と言われたから明るくする。
それを繰り返すうちに、自分が表現したかったものまで消してしまっては、本末転倒です。
伝わりにくさを改善するために変えるのか。それとも、その余白や暗さこそが自分の表現に必要なのか。
自分の意図を守ることと、指摘に耳を閉ざすことは違います。
ほかの人の見方を知り、自分では気づかなかったことに気づく。そのうえで、何を変え、何を残すかを自分で決める。
気づきを作品づくりに生かすとは、そういうことだと思います。
特別コースでも、この判断を大切にしていきたいと考えています。
同じ試合を見ても、主導権の捉え方が違う。
同じ写真を見ても、余白の意味や暗さの印象が違う。
評価が分かれたとき、「分かってくれない」で終わらせず、相手には何が見えていたのかを考えてみる。
ボクシングを楽しんだ翌朝なのに、結局また写真の話になってしまいました(笑)。
でも、こうしたところにも、写真を考えるヒントはあるものですね。
人の意見から学び、最後は自分で決める。
私自身も、その姿勢を大切にしていきたいと思います。
参考:スポーティングニュース「同じ12ラウンドを、両陣営はまったく違う目で見ていた 帝拳は那須川天心の判定負けに首をかしげ、井上陣営は『ダウン以外は完璧』」(Yahoo!ニュース掲載、2026年9月28日)
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